病院の薬は人工化学合成物で漢方薬は食べ物のような自然のもの。というようなありきたりの違いを話してもしょうがないので、治療目的の違いを話してみたいと思います。
病院のお薬には有効成分というものがあります。
鎮痛剤だったら、痛みは最初は体内の痛みを発する物質が痛みを発する指令書となって脳に向かうのですが、痛みを発する物質は痛みを発する指令書になるまでに何回か、レセプターという物質とくっついたり変化して、痛みを発する指令書に変わっていきます。
鎮痛剤は、この痛みを発する物質の手前の状態のものに偽物のレセプター的成分をかまして、痛みの指令書になる前に潰してしまいます。
簡単に言えば、体内の働きを薬の成分そのもので無理やり変えて体の働きを騙すのです。
もちろん、薬によって有効成分の働きは違いますが、根本的な考えとしては人工化合物を体内にいれて、体内の正常な働きを騙すというものです。
痛みや発熱、血圧が高くなるなど、病気や不快な症状とよばれているものの正体は、何も体が嫌がらせでやっているわけではなく、体内のどこかの組織や機能がうまくいってないので、そのうまくいってない状態を「痛み」や「かゆみ」「吐き気」などで知らせているのです。
ただ、この体内の不調のお知らせは非常に不快で何がどう悪いのかが、僕たちにはよくわからないのです。
痛みなどはわかりやすいですね。
骨を折った時に「痛み」という不快な症状が全くなかったら、折れたまま、無茶しますので、下手したら一生、治らない傷になったりします。
「痛い」からジッとする。安静にするから治癒を促すことができるのです。
西洋医学の薬の役割は、こういった不快な症状を一時的にせよ、なくしてごまかすことです。
病院の薬が対症療法や姑息療法と呼ばれているのは、こういった一時的な措置だからです。
よく考えてみたら「病院の薬を飲んでこなかったから病気になった」わけじゃないですね。
だから、あなたの病気の原因は「病院の薬を飲んで来なかったこと」ではないのです。
そこから考えれば、根本的な病気の原因は他にあるわけです。
他にあるけれども、今、この瞬間の症状を無くしたい場合は、病院の薬は即効性もあり、個人の体質は関係なく平均的に効きますので「とりあえず症状を止めておく」場合は非常に有効的です。
逆にダメな使い方は、根本的に治そうとして長期間、飲み続けたり、説明されているほど効いてないの、しつこく飲み続けたり・・・(いくら、平均的に効くとはいえ、100%誰にでも効くものではありません)こういった飲み方は無駄ですね。
老人はこういう飲み方をよくしていますが、これは健康保険が毎年大赤字のことを考えると税金の無駄使いだと思います。
病院の薬は、基本的には1つの薬に1つの有効成分があり、その1つの有効成分が1つの効果を表します。
鎮痛剤だと痛みを止める効果です。
漢方薬は1種類の漢方薬の中に複数の生薬とよばれる食べ物に近いけれども薬のような強い効果を発するものが含まれています。
例えば、葛根湯なら7つの生薬が含まれています。
7つの生薬はそれぞれ独自の効果を持っています。
医者は病院の薬と同じ発想で1つの漢方薬は1つの働きみたいに考えて処方したりしていますが、漢方薬には2つの効果の考え方があって、生薬それぞれの効果と、それらが合わさった時の漢方薬としての効果という大小2つの効果を考えなくてはいけません。
葛根湯は風邪薬とか、五苓散は頭痛薬とか、そんな単純なものではないのですね。
病院の薬で例えれば、葛根湯には7種類の薬を一辺に処方したような感じです。
でも、ここでも大きな違いがあります。
病院の総合感冒薬は、解熱効果の成分、咳止めの成分、痰を出しやすくする成分と、それぞれ効果が決まっている成分が単純に足し算的に混ぜられているだけですが、漢方薬の場合は、そもそもが生薬自体が「鎮痛」とか「咳止め」といった直接的にわかりやすい効果ではないのです。
漢方薬を構成している生薬は、それぞれ、
・どこの内臓(西洋医学の内臓とは異なる)に有効か?
・その人の体に対してどれくらいの負担を与えるか?
・冷やすのか?温めるのか?
・気や血、水を巡らせるのか?
など、基本的な効果は、西洋医学には存在すらしない効果となっています。
1つずつの生薬にこういった細かな設定があって、それらが合わさって1つの大きな治療の方向性を生み出します。
なので、西洋医学は「頭痛=痛みを発する物質を邪魔する成分の薬を使う」と非常に直線的で単純ですが、東洋医学はその反対になります。
なんだか、よくわからない温めるとか、冷やすとか、巡らせるといった、ちょっとモヤモヤした効果を組み合わせて治します。
なぜ、東洋医学はそんな、わかりやすい単純な思考じゃないかというと「東洋医学は全身のバランスをとらないと治らない」と考えるからです。
病気は1つの原因だけで成り立っていることはありません。
1つの原因のみで成り立っているのは、急性の時だけだったりします。
慢性化している場合は、大概、無数の要素が絡み合って、体内のいろいろな箇所を邪魔しているのです。
その場合も無数にある全部の要素を究明していけば、治せるかもしれませんが、今の科学力では、無数にある原因を全部、解明することができません。
漢方は、最初から無数にある原因を事細かに調べても調べられないことがわかっていたので、全身をみて、どのバランスが崩れているかをみるようにしたのです。
だから、どんな病気だろうが「頭痛」とか一部分の症状だけをみないで全身の状態をみて体質を判断するようになっているのです。
漢方薬が複数のそれぞれのバラバラの効果のある生薬で構成されているのも、複数の要素に一度に働きかけないと「あっちを押せばこっちがひっこむ」で永遠に病気が治らないからです。
ざっくり、モヤモヤな感じに見える東洋医学ですが、実は、非常に理論的なのです。
ただ、使う人間が西洋医学と同じように単純で直線的な方法で処方するから、疑わしい感じになってしまっているのです。
漢方薬が治るか治らないか怪しいものではなく、体質をみないで処方している人が漢方薬をまともに使えてないから「怪しい」のですね。
その怪しい使い方というのは西洋医学と同じ発想で「病名」と「症状」だけで漢方薬を処方する人ですね。
漢方薬は、成分が直接的に働くわけではなく、体の大きな流れを変えていくので、根本的な治療になります。
でも、漢方でも漢方薬という薬のみで根本治療になるとは考えていません。
そもそも、漢方というのは「漢方薬を使用する」ことではなく、漢方の考えでもって、漢方薬を使用することです。
漢方の考えとは、体質に合わせて、病気にならない生活を送ること。
これをアドバイスするのも漢方薬を処方するのと同等です。
病気の始まりは生まれつきの持ってるクセとその後の生活のクセの積み重ねでなることが多いので、そのクセを体質に合わせた方法で正しい道に戻してやれば、健康になっていくのですね。